中学校の部活動で指導するにあたって

将来卓球競技で食べていくようなレベルの生徒はいないことを前提として、私が重要だと思う点をまとめます。

同時に、何校かの顧問の先生方を観察して感じた違和感についても触れていきます。

 

[目次]

 

 

1.卓球を仕事にするわけではない

卓球で食べていくわけでないなら、究極的には負けても問題ないと考えています。

もちろん生徒の勝ちたいという気持ちは大切にしたいですが、指導する側にとっては勝ち負けが最優先事項ではないはずです。

勝つに越したことはないですが、負けてもそこから何かを学べるよう導くのが指導者の役割です。

 

「勝ち負けが全てじゃない」という考えが頭にある先生は多いはずです。しかし試合での様子を見ると、すっかりそのことを忘れているようなのです。

試合をしている選手本人より熱くなり、その結果出てくる言葉は「どうしてそこでミスするんだ」だとか、「そこで打つな!」といったものになります(※1)。

結局は、「勝ち負けが~」という言葉の意味を真に理解していないのだと思います。

 

どうして異様なほど熱くなってしまうのでしょう。

勝ち負け以外の大事なものが何か、深く考えたことがないのでしょうか。

部活の成績が先生自身の評価に繋がるからでしょうか。

試合をしている生徒が主役だということを忘れてしまっているからでしょうか。

 

 

(※1)試合のベンチでの発言については別の記事で考えてみようと思います。

 

 

2.卓球の特性を利用する

教育という枠組みの中で行われる卓球においては、生徒が卓球を止めた時に何が残るかが非常に重要と考えています。 

私は中学校で指導している子供たちに、一生卓球を楽しみ続けてほしいと思っています。しかし実際にはどこかでやめてしまう人が出てくるでしょう。

彼らがラケットを手放した後に、想い出だけでなく、何かしらの能力が伸びたなという実感が残るような指導をしたいです。

ここで言う能力とは卓球の技術に限らず、日常でそのまま役立つような能力も含んでいます。ただ、卓球だからこそ培いやすい能力はあると思っています。

 

他の競技よりも顕著な卓球の特性として、

用具が軽い、テンポが速い、台が小さいという点が挙げられます。

 

例えば野球の投球練習を100回もすれば、身体には大きな負荷がかかります。

テニスで100回ラリーをするというのも、大量の時間と体力を消費します。

一方卓球においては、ラケットが140~180g程度、ボールはたった3gです。

テニスやバドミントンに比べて1ラリーにかかる時間は短く、100回打球するのに10分もかかりません。

 

また、台が小さいために物理的に許される動きの範囲が狭く(動きが大きすぎても小さすぎても、打球の勢いが強すぎても弱すぎても台に入らないという意味で)、身体のコントロールにかなり意識を使わなければなりません。

 

中学校の卓球部には運動が苦手な子供が入部しがちですが、これらの特性は彼らの運動能力を目覚めさせるツールとして優れています。

台にボールを入れるためには自身の身体を細かく制御する必要があり、頭で描いた動きと身体の動きを近づけていくというプロセスが必要です。

そのためには大量に打球する必要がありますが、用具が軽いために大量に打球しても身体的負担は抑えられます。

ですから運動が苦手だったり体力が無かったりしても、たくさんボールを打ちながら動きを修正していくことが可能です。その中で自身の運動能力を目覚めさせていくことが出来ます。

 

以上を踏まえて、運動が苦手と思われる生徒でも安易に前陣異質型を押し付けず、ドライブ型の練習から始めてみるべきと考えます。

本人がとにかく勝ちに拘るのであれば粒高を貼って前陣異質型へ戦型変更をするのも良いと思いますが、最初の半年~一年間は可能な限り裏ソフト、特にフォア面は裏ソフトにして卓球に慣れるべきです。

 

 

3.自分たちもかつて中学生だった

これは特にマナー絡みの指導について思うところで、「中学生だった頃の自分が言われてどう思うか」を忘れてはいけないと思っています。

私はまだ中学の頃の記憶だとか感覚が残っていますが、先生方の言葉を聞いていて「これは中学生にはきついな」としばしば感じます。

 

生徒が良くない行動をしたときに注意することは重要です。

しかし自分がかつて同じように未熟だったことを忘れ、遥か高みから言葉をぶつけるのはもはやパワハラと感じます。生徒の理解力にもよりますが、それを考慮しても「そんなに強く言うと逆効果だろう」というレベルまで、言葉の圧が達していることが多いです。

中学生だった頃の感覚を忘れて大人の視点だけで指導を行うと、生徒たちにとっておよそ不可能なものを要求してしまう可能性があります。

多くの人が中学生の頃、何かしらで一度は「オトナって理不尽だなぁ」という経験をしていると思います。同じことを自分が繰り返さないようにしたいです。

 

個人的に好きな言葉があります。

「誰だって最初は初心者。」

卓球でも勉強でも、人間としてもそうなのです。最初からうまくいく人なんていません。それを導くから「指導者」なのです。

 

 

4.生徒と対話をする

通常の授業において、先生方は重視されているはずです。

どう発問するか、どんな反応が予想されるか、生徒の理解度はどうか、といった点を日頃から配慮しているはずです。

ところが部活指導となった途端、一方的な指示(指導ではない)ばかりになってしまう方がいます。

 

始めたての子供に対しては、やるべきことの提示が多くなるのは分かります。

しかし1年~1年半も卓球をすれば自分の打球感覚が育ってきますし、これが出来てこれは難しいという判断もできるようになってきます。

そんな彼らに対し、一方的に練習メニューを与えたり試合でのアドバイス(時にお説教、挙句の果てには怒鳴り散らすようなもの)を行うのは間違っています。

 

選手・指導者としての圧倒的な経験がおありで、「これさえやっておけば絶対に間違いはないんだ!」という確証があるなら話は変わるのかもしれません。

しかしそのようなレベルの指導者でも、個々の選手にフィットするか観察するはずですし、選手からのフィードバックなしで指導するのも効率が悪いでしょう。

何より自分たちで考えることをさせないままでは、卓球から離れた後に何も残りません。

 

練習試合や試合を通じて本人たちは強く、「ここが上手くいかない」、「この技術は試合ではまだ信用できない」といったことを感じます。

それらをきちんと聞き出した後に、どのような練習をしたらよいと思うか、私は尋ねます。その上でその練習メニューに賛成したり少し修正したり、あるいは全く別の部分を練習することで弱点をカバーできる可能性を提示したりします。練習メニューに修正をかけない場合でも、こういう所に意識を使うといいよと提案します。

 

このような流れの中で、子供たちの思考力を養うことを狙っています。

考える訓練を積んでいけば、試合中に自分で状況整理が出来るようになります。

「これが上手くいってない、じゃあどうしよう。」、「どうやらこのサーブは効いている。相手のレシーブのここが弱い。」などと考えられるようになり、相手を観察する能力も伸びていきます。このような力は、ラケットを置いた後にも残ると思いますし、他の世界にも応用の効く能力だと考えています。

 

試合において選手本人では見えなくなっていて、ベンチでは見えているものがある場合がありますが、本人しか感じていない確信や不安も存在します。

ベンチで指導者が「これをした方が良い」と考えていても、本人がそれを実行するのに対して大きな不安を抱えている場合もあります。

普段から対話がなされていて信頼関係があれば、選手が不安でも「コーチ(あるいは監督)を信じてやってみよう!」となるかもしれません。また、本人が調整や修正、選択を行えるでしょう。

ところが一方的な指導が日常となっていると、問題が生じる可能性が高まります。

 

先日生徒の一人とお喋りする中で、そうだよなぁと思うものがありました。

「先生の言っていることはおかしい。先生がやれと言ったことをやって負けたら怒られるし、やるなと言われたことをやって勝ったら褒められる。」

 

これはまた理不尽な話ですね…。

対話が無く、一方的な指示になっている証拠です。結果だけを見て内容を見ていないことの証拠でもあります。

私はアドバイスしたことを生徒が実行して負けるようなことがあれば謝ります。指導者の責任で負けたのに責めるなどありえません。

勝ったのは選手が頑張ったから。負けたのは指導者に落ち度があったから。

全てがこの通りとは思いませんが、少しだけ、こう考えることは出来ないでしょうか。

 

このやり取りについても別の記事で触れようと思います。

 

 

5.加点方式で見る

 1.でも少し触れましたが、勝敗ばかりに注目するのはおかしな話です。

負けてもその中でどれだけ良いプレーができたか、そのラリーは得点されてしまっても決められるまでに何ができたか、といった点を観察し、内容を評価して生徒を褒めることが重要です。(※2)

言ってしまえば大会では優勝者以外全員負けるわけです。では優勝者以外は評価に値しないのかと言えば、そんなことはないはずです。

欠点や不足ばかり見ていたら、評価できるものなんてこの世から無くなってしまいます。

 

試合だけでなく、普段の練習でも同様です。

台に入らなかったけれど、コースは正しかった/回転はきちんとかかっていた/ボールの長さは合っていた、といったような考え方で生徒を褒めるべきです。

卓球歴が浅い人や精神的に発展途上にある中学生ですと、入ったからOK、入らなかったからダメ、と考えがちです。しかし入っていない球でも、コース・回転量・ボールの長さ・打球点・生徒の身体の動き・打球音(≒打球感)のどれかはうまくいっている場合が多いです。

それらを生徒に伝えることで、「あぁこういう感じの当たり方は正しいんだな」とか、「このぐらいの力で打つんだな」といった感覚的な知識が貯蓄されていきます。

 

ここは良かったけどこっちがちょっと違って入らなかったんだな、もう一歩だったな、と思考できるようになれば、生徒自身で修正出来るようになります。

そうなれば練習の効率は上がりますし、試合でのミスからもリカバリーできる可能性が上がります。

練習でのミスを頭ごなしに叱るとその打球全てがダメだったと思い込み、正しい部分があっても全てを捨ててしまいます。それでは練習の効率は上がりません。

それどころかミスは悪いことという意識が芽生え、試合内容に悪影響を与える恐れもあります。普段から加点方式で褒めることで生徒の思考も前向きになれば、試合の初戦でミスを連発しても、「ここは良い、もう少しここを修正すれば」と考えられる様になっていきます。

そうなれば、指導者の「もうひと踏ん張りだ、まずは一本入れていこう」といった励ましがより効果を発揮するはずです。

 

(※2)ベンチでの加点方式思考はまた別の記事で書こうと思います。

 

 

6.卓球を嫌いにさせない

これだけは、

部活指導をされる方に心からお願いしたいです。

 

卓球に限らず、これが中学校の部活動を受け持つにあたって最優先されるべきです。

 

せっかく卓球を選んでくれたのに、中学三年間でやめられてしまっては三年の卓球経験の価値が暴落してしまいます。

まだまだ卓球には知らない世界があり、膨大な伸びしろもあるのにやめてしまう。これは日本卓球界全体にとっても損失です。(高校でも続ける生徒が増えれば卓球界の底上げがなされる。)

 

嫌いになったらおわりなんだと、先生方には強く認識していただきたいものです。

教員の世界には外部からこういう修正やブレーキをかける装置が存在しないため、間違った方向にハンドルを切った先生方はとんでもない所へ辿り着きます。その事故の被害者は生徒です。

 

個人的には部活動における根性論は嫌いです。

確かに試合で競った場面などで強い気持ちも必要になりますが、そのような「根性論」は普段の練習で培った確かな技術力と精神力に裏打ちされたものです。

厳しくさえしていれば生徒が伸びるなどというのは間違いです。まずは褒められることで卓球を好きになって欲しいです。

 

 

 

ここまで読んで下さりありがとうございました。

(最終更新日:2017/3/13)