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卓球と初心者指導(仮)

中学校の卓球部における指導について、主に考えていきます。

なるほど 1

ネットの海で、興味深いなぁと思う文章を見つけたので引用して記録。

太字にしてある部分に心を揺さぶられたというか、腑に落ちたというか。なるほどそうだよなぁ、と。

ぼんやり考えていたことを上手くまとめてくれたようなスッキリ感。

 

顧問が、その競技の専門家で人間的にも立派な人だったら問題ないのですが、一般の学校の部活動では、監督・顧問が競技の素人だったり、人柄に問題ありだったりすることも多いように思います。
 一流の監督や一流の選手を集められるスポーツ有力校ならともかく、公立の学校では、選手は与えられた状況の中でがんばるしかないんですよね…。
 逆に、「名選手、必ずしも名監督ならず」ということも、確かにありますし。
 
 
 外部コーチは、薬になったり、劇薬になったりで、ギャンブル的なリスクがあります。
 継続して指導してくれて、選手・人間を育ててくれるようなコーチだったらいいのですが、なかなかそういう人には当たりません。
 たまに来てえらそうにしたり、自分の力を誇示したがったり、という人の方が多いような気がします。中には、学校の顧問・監督と違うことを指導して、「あの先生より自分の方がよくわかっている。」と言いたがる人も多いのです。
 学校の顧問・監督と人間的な信頼関係のない外部コーチなんてジャマです。
 
 
 選手を見て、「うまい・下手」「強い・弱い」と言う人はたくさんいます。観客席のおじさん・おばさんだって言えます。でも、「うまくなった」「弱くなった」と、「~なった」の部分で語れるのは、継続して見守って、愛情を持って育てている人だけです。
 そういう指導者に巡り合いたいけど、それがかなわないなら、せめて、部員同士が、お互いの成長をしっかり認め合いたいものです。
 
 
 がんばってる部員の皆さんにこんな言葉を贈ります。
 「賢者は愚者にも学び、愚者は賢者にも学ばず。」
 本当に賢い人は、アホな人のアホな言動からも何かを学びます。アホな人は、立派な人がいくらいいことを言っても、そこから学ぼうとはしない、という意味です。
 同じように、スポーツでも、強くなる選手は、弱い選手の下手くそなプレーからも何かを学びます。成長しない選手は、強い選手の素晴らしいプレーを見ても、何も学ばないのです。学ぶ姿勢の問題です。