先生と呼ばれて

教員にも何種類かのタイプがあって、そのうちの一つを私は「コントロール系」と呼んでいます。

 

どんなタイプかと言うと…

  • 一方的に指示を押し付け、生徒との対話がない
  • 生徒をまるで管理するような指導が多い
  • 厳しさの上限が生徒にとって高すぎる
  • 謎の自信に満ち溢れていて自分を省みない

といった特徴を備えた先生方です。

生徒を管理するタイプ、ということで「コントロール系」です。

 

彼らが学生だった頃、そういう先生が好きではなかったはずです。

しかしいつからかそういう教員になっている…。

そうなってしまう理由に、先生と呼ばれ続けることと学校内で権力者であることの二つが含まれると思います。

 

教員になった当初は、コントロール系ではなかったかもしれません。しかし自分より年齢が上の保護者たちに先生と呼ばれ、生徒にも先生と呼ばれ…。年上の同僚にも、管理職の教員にも先生と呼ばれます。

自分でも気づかないうちに、慢心・勘違いが積もっていくのではないでしょうか。

 

また、学校内においては大きな権力を持っています。というのも相対するのが10代の子供たちであり、教員は生徒を呼び捨て、生徒は(表立っては)先生と呼びます。

友達のような関係が良いとは決して思いませんが、明らかな上下関係があることには違和感を感じます。

 

もちろん、生徒の前では毅然とした態度でいなければならないとか、迷っている様子を見せられないとかあると思います。でもそれを隠してこうしろああしろと押し付けるのではなく、「こういうことができるようになって欲しいんだ」と理想を伝えることは出来ないものでしょうか。

 

 

私が先生方を観察して得た予防法は次の二つです。

1. 保護者の方の意向を聴くようにする

自由な教育が妨げられるから保護者の文句は迷惑なんだという言説も見聞きします。しかし先述のように、教員は学校においては権力者なのです。権力の暴走を予防するストッパーとして、保護者の意向がある程度(この程度が難しいのでしょうが)考慮されるべきと思います。

全て保護者の言いなりになるのは違うと思いますが、意向の聞き取りをする中で信頼関係や協力関係を築くことができるはずです。そうなれば様々な面で、より指導がうまくいくのではないでしょうか。

 

保護者の方が本音を打ち明けてくれたり、お子さんの家庭での様子を教えてくれたりするようになると、普段の指導を生徒にとってより適したものに修正できます。少なくとも私は何度かハッとさせられ、ちょっとしたことではありましたが修正をかけています。教員への不信感があっては、生徒も保護者も本当のことを言えないと思います。

 

2. 自分のおかげと思わない

以前、次のような言葉を紹介しました。

「試合で勝ったのは選手が頑張ったから、負けたのは指導者に不足があったから」

常にこう考えておくことで、指導者の慢心を予防できます。

 

確かに指導者がいた方が、技術的・戦術的に良くなる場合が多いと思います。しかし、「指導する人間がその選手に関わらなかった未来」を見ることは出来ません。

指導者無しでもその選手は今のレベルまで到達したかもしれないのです。可能性は0ではありません。

周囲の人や選手は指導者に感謝したり称えたりするかもしれません。それを受け取りつつも、「私のおかげでこの選手は良くなったんだ」という思いに支配されないようにしたいです。

謙虚でいることは周囲への印象を上げようという狙いと思われがちですが、自分を戒める手段として大きな効果を発揮すると思います。

 

 

今回は教員という立場を考えましたが、何らかの指導者には総じて当てはまることと思います。

特に教員やスポーツの指導者というのは、同じ空間にストッパーがいません。

一旦間違った方向に舵を切ると、とんでもないところへ辿り着いてしまいます。

 

私は先生方を見ていて、コントロール系になりたくない、慢心していることに気付かないような人間になりたくないと強く思います。

この気持ちを保つために、予防法を実践し続けていくつもりです。

 

(おわり)