見えている人 見えていない人

指導者を含め、大人には二種類のタイプがいると思っています。見えている人と見えていない人です。何が見えている/見えていないのかと言えば、「他の選択肢の可能性」です。

 

見えている人には「本当にこれでいいんだろうか」という迷いがあり、自分の判断の結果をよく観察します。自分を疑います。だから間違いに気付くことができます。もっと良い選択肢があったと判断したら自分の非を認め、すぐに修正をかけます。自分の思い込みを避けるため、生徒に「こういうの、どう?」とか「君はどう思う?」と尋ねることができます。例え自分にとって都合の悪い返答が返ってきたとても、それを受け入れる心の準備ができています。

 

見えていない人は逡巡しないために選択肢の数が非常に少なく、このことを認識することすらできません。自分への疑いなど思考の隅にもありません。だから自分の判断の結果を疑うことなんてしないし(そもそも意識の外なのでできない)、間違ったことにも気づかない。自分から他者にアドバイスを求めるようなこともしません。

 

大人になって年齢が上がれば、上の立場から指摘してもらえるチャンスは減っていきます。そうなった時、自分で自分をチェックできなければ間違いは正されず、どんどんおかしくなっていきます。ですから、30半ばを超えて見えていないような大人はもう一生見えないままです。そんな人間を指導者として仰がねばならない生徒は可哀想だなと思います。

などと偉そうなことを申しておりますが、私自身も狂い始めているかもしれません。コーチと呼ばれ、感謝され、気付かぬうちに調子に乗り始めているのかもしれません。

一度成功したからと言ってそのやり方がまた効果を発揮するとは限りません。疑うことをやめたら終わりだなと思っています。きちんと迷って、疑って、観察して、修正をかける。こういうことを忘れてしまわないようにしたいと、心から思います。

 

 

(おわり)