負けの責任を背負うというベンチワーク

中学生の試合における、ベンチワークの一つについて。

先日ある卓球人の方Aさんとお話をして、その中でAさんがおっしゃっていた考え方です。私の考えも混ぜ込んで、メモします。

 

結論から申しますと、選手が負けた時、“負けの責任を背負う”ことは我々大人の役割だ、という考え方です。

ベンチに入った時、アドバイザーとしてできることは限りがあります。ベンチワークが上手くハマり戦況が大きく変わることもありますが、勝敗という結果が変わらないことの方が多いです。敗戦後の状況によっては、 「ごめんね、僕の力が足りなかったよ。君は良く戦った。お疲れさま。」とか、「確かに君にも足りないところあったけれど、僕も足りなかった。よく頑張ったよ。」などと声を掛けてあげないといけないケースがあります。前者は選手がひどく落ち込んでいる場合、後者は落ち込んではいるものの選手として自身の不足を理解している場合に。

負けて一番傷付いているのは選手です。しかもそれが中学生ともなれば、その辛さから逃げる術を知らないことも多い。選手が前を向けていたり次を見据えていたりするならそっとしておけばいいでしょう。しかし心がズタズタになっている選手には、逃げ道を用意してあげることも必要と思います。

先述のように、実際にはベンチワークではいかんともしがたい差があることが殆どです。相手の方が卓球歴が長い、練習量が多い、レッスンを受けている、など卓球プレーヤーとして相手の方が上であるのが本当のところです。それでも、例え嘘でも、僕が足りなかったと言ってあげることで救われる選手もいるのです。「いやいや、僕の力が及びませんでした。」と選手が返してきたとしても、ズタズタになった選手の心はどこか少し救われるはずです。

いかなる状況でもこういうベンチワークが適切とは思いません。選手をよく見て言葉を選ばないといけません。でも、ベンチに入る際にはこういう考え方も携えておくべきです。ただしこういう発言をするには、選手―指導者間に信頼関係があることが前提です。

 

 

(おわり)