部活動に関わるにあたって

「教育は支援である」、「選手一人一人に片思い」の二つの考え方について。

 

教育は支援である

これはかつて私が高校へ教育実習に行った際に、ある先生から聞いた言葉です。授業中やる気のない生徒がいるという話題の中で、「教育は支援だと思ってるからある程度まではこちらから手を差し伸べるけど、高校生だしその先は自己責任だよね」とその先生は仰っていました。

中学校の部活動に関わっていると、支援ではなく管理になっている場面を良く見聞きします。私が関わっている学校も、それ以外の学校でもです。ということは、普段の生徒指導や授業の進め方にもそれが少なからず表れているはずです。それでは生徒との信頼関係など築けないと思うのですが、コントロール系教員の頭の中にはそういう思考すらないのかもしれません。

他人の振り見て我が振り直しているつもりでも、気付かないうちに管理型へと引っ張られている恐れがあります。ですから、教育は支援、部活においても”指導”するのではなく”支援”するのだという意識を忘れないようにしたいです。

 

 

選手一人一人に片思い

私は気が付いたらこうなっていたのですが、選手一人一人の良いところを見つけそこに惚れ込み、引いては選手一人一人を好きになる、ということです。

他人と比べたら上がいますから、この”良いところ”は絶対評価的に見つけ出します。見つけたものに惚れ込むことが出来れば、無意識のうちにこちらの態度が変わって選手との信頼関係の醸成に繋がります。あるいは信頼関係があるから長所も見つけやすいし惚れ込むことができるのかもしれません。

片思いするメリットとして、感情の抑制装置になり得ることも挙げられます。例えば選手が一見問題のある行動をした時、頭ごなしに叱るのではなく先に本人の話を聴く余裕を得ることが出来ます。怒鳴ったりねちねちと嫌味ったらしく説教をするようなコントロール系教員には、こういう余裕が無いと感じます。それは彼らが教員と選手、先生と生徒という立場の壁を作り、自ら選手に近寄って選手を好きになろうとしないからと考えます。

中学生女子、少なくとも私が関わっている選手は全員、こちらが信頼して”片思い”し続けているとだんだんと心を開いてくれたように感じました。(いくつか根拠はあるものの、思い込みでないとは言い切れません。本当のところは見かけでは分からず、本人しか分かりません。)高校生以上になれば自我が確立した選手が増えて自立していくので、片思いが増えていくでしょう。選手に好いてもらうために行動するわけではないので、片思いでもよろしいと思っています。

 

選手に片思いという発想、有名な卓球漫画でも見たような…

 

 

 

(おわり)