かねてよりこのブログを読んでくださっている方はお気づきかと思いますが、最近私の文章が過激化の一途を辿っております。
その理由は、大きく2つと考えます。
初期の頃は意識的に避けていた
ブログを始めたころは、曲がりなりにも中学校の部活動に関わる人間が発信する文章として清くあろうと気を付けていました。読者の方からの見え方を気にして自分を抑えていた、つまりある種隠し事をしていたような部分がありました。
一方で私には元来、本音を全て吐き出すことを良しとする性質がありました。ですから本音の一部を隠して語ることは良いことなのかという葛藤もありました。
私はかつて教員を志していましたが、きれいごとばかり語ったり自分では実践できないようなことを押し付けたりする大人が嫌いでした。運よく私の学生時代にはそういう教員との接触が少なかったために、教員というものに憧れを抱くようになったわけであります。
しかしながら中学校の部活動に関わるようになり、部活を通して見える一面ではありましょうが、いろいろな先生を観察する機会を得ました。そうしますと、中学校の教員には私が嫌うタイプの人間が多いこと多いこと。やはり人間的にも学力的にも低い人間が集まるなぁと、思わずにはいられませんでした。だって「うーん、この人は立派だなぁ」、「この人になら、自分の子供を預けられるなぁ」と思える人が中学生の大会会場に行っても見つからないだもの。しょうもない先生ばっかり!
私はそういう”嘘つき”になりたくない。ということで、思ったことは(もちろん言葉はある程度選んで)吐き出していくことにしたのです。
かっこつけるのをやめた、と言えばかっこいいかな。
生徒たちの嘆きが私の中に蓄積していく
自分の中の変化だけでなく、生徒たちから漏れ出てくる顧問の先生への不満が私の中に蓄積しているのも大きな原因です。
この生徒たちというのは、私が外部コーチ登録をしている学校の生徒たちです。先生の問題行動を、これまでの記事で触れたものも含めてざっと振り返ってみます。生徒たちの口から実際に語られたものです。
- 先生がアドバイスしたことを実践して負けたら怒られる。アドバイスと違うことをやって勝っても褒められない。これはおかしい。
- セット間に、「こんな相手にどうしてセットを取られるんだ」とか「どうしてあんなミスをするんだ」と言われる。望んでそうなったんじゃない。そう言うなら、どうしたらうまくいくか教えてほしい。
- 練習中に、「何度同じミスをするんだ」と言われる。私だって変えようとはしてる。打ち方を教えてくれないくせに、そんなこと言われても困る。
- 試合で点を取った時に大きな声を出すのをやめてほしい。うるさくて集中できない。
- 試合中に声を出してるのに声を出せと言われる。私は大きい声を出すのが苦手だし、会場がうるさいんだから仕方ない。それをベンチに届くほどの声を出せってのはおかしい。
- マシンを買ったはいいけど回転量も速度も調節できなくて、こんなボール絶対ありえない、っていう球ばっかり出る。それを初心者の1年生に初めから使わせて、しかもその様子をそばで見ているわけでもないい。このままだとぐちゃぐちゃになりそう。
- 先生がベンチに入るのが嫌。試合を観られているだけで「終わった後何か言われるんだろうな」と思って余計緊張しちゃう。
- ベンチにいなくても、試合中視界に入るだけで嫌。
- 大会で思わぬ負け方をしてショックなのに、その後の練習で「お前は負けたんだからもっと真剣にやれ」と言われた。
自分から語ってくれることもあれば、表情が曇っている理由を聞くと答えてくれる場合もあります。私が聞けただけでもこれ以上あるわけです。
生徒それぞれがもっともな不満を抱えていて、それが私の中に蓄積していきます。一つ一つが生徒を不幸にしていて、そのことに怒りを覚えます。1人分なら私の中で整理して自制できたかもしれません。しかしながら十数人分が私に集積されるため、怒りも人数倍されます。もはや、吐き出さなければ私がおかしくなりそうです。
お読みくださった皆さんは、上に挙げた問題行動に関してどうお感じになりますでしょうか。「なるほど、これはけしからん。とんでもない教師だ!」と思う人もおられるかもしれませんが、果たしてあなた自身は同じような行動を取っていないでしょうか。
もしくは、周りに同じような教員がいますでしょうか。もし手の届く範囲なら、なんとかストッパーになっていただきたいです。これは私からのお願いです。
モンスターペアレントが話題になる昨今ですが、保護者が遠慮したら子供たちを救える人はいなくなってしまいます。子供たちの話を客観的に聞いて、他の保護者の方とも情報を交換し、可能であれば大会や部活での先生の振る舞いを観察しに行ってください。その上で「これは看過できない」と判断できれば、保護者で一致団結して学校に乗り込むべきです。
体罰は禁止されましたが、気付かぬうちに子供の心を追い込んでいる教員は数多く存在します。1発1発が致命傷になっていないだけで、それらの蓄積は生徒を確実に傷付けています。毒のようにじわじわ染み込んでいく、パワハラあるいは虐待と呼んでよい状況です。
心の傷は治りません。卓球を嫌いになられたら、終わりです。
(おわり)