コトダマ ①

私にとって強く印象に残った言葉と、それに関する思いを時々書き連ねようと思います。

 

たまにはこういう、フワッとしたものを…

 

 

「どんな背伸びも自分を超えられなくて」

Wonderful & Beautiful / レミオロメン より。

 

 

限界を超えるって、よく人は言いますよね。でも私は、自分が限界だと思っている少し先までは、本当は自分が出来るエリアが続いていると思うんですね。

例えば、毎日2時間勉強している人が今日から2時間30分勉強しようと試みる…。今まで一杯一杯だと思っていても、それくらいの超過は人間意外と出来てしまうものです。

だから、常に自分が限界だと思っている少し先を目指しましょう。それが成長のカギの一つです。…なんて、以前から私はそう考えていました。

(あー、ただしこれが”ブラック企業的思想”に近付いていくと危ないんですけれど)

 

今回挙げた歌詞はそういう思想とは少し見方が違いますね。

背伸び、つまり自分の能力に収まらないことをしようとしても自分のできることしかできないから無理しすぎるなよ、とそういう想いが込められているように思います。

 

これを私なりに卓球に結び付けてみますと、

「試合では自分が出来ることしかできないから、下準備をしっかりして臨みましょう。」

とか、

「相手にやられてしまっても、自分が出来ることが出来ていたなら仕方ありません。負けたことは不本意かもしれないけれど、相手が強かった。そのことを認めて、次に進む糧としましょう。」

なんてことになるわけです。

 

中学生たちを見ていますとね、すごく追い詰められているというか、切羽詰まって勝ちを目指している人が時々いるんですね。私が関わった限られた事例の中で共通しているのは、家庭内で精神的あるいは身体的な負荷にさらされていることです。家庭内で卓球やら勉強やらについて厳しい指摘や避難を受けていたり、中には手が出るような家庭もあります。

話を聞いてみると、家庭内で「認められる」という経験が少ないように感じます。どこかで褒めてほしい、認めてほしい、という欲求があって、それが卓球で”勝たなければ”という強迫観念を生んでいるように思えるのです。

 

大抵の家庭では両親のどちらかが厳しくて、もう一方がクッションとなりバランスをとっています。しかしながら片親であるとか両親ともに批判的であるなど、クッションとなる存在がおらずバランスを欠いている家庭もあります。

子供のうちは家庭環境の影響が極めて大きいため、心理や思考の傾向を変えることは難しいかもしれません。でも、私はそういう人たちを精一杯認めて、心に響く言葉で褒めたいと思うのです。だんだんと、心の傷がカサブタで覆われますように…と願いましてね。

 

 

 

(おわり)