今回は、先日引退した3年生のエースのお話です。鈴木梨央さんに顔が似ているということで、Sさんとしてお話します。
彼女が1年生だった頃から3年生の夏を終えるまでを振り返っていきます。常連?の読者の方にはお馴染みの話も登場すると思います。
とにかく、こういう立派な選手がいました、という物語でございます。
驚きの”頭の良さ”
Sさんが入部してきた頃、私はその中学校へせいぜい月に1度訪れる程度でした。当時は3年生の練習相手が中心で、1年生だった彼女との接触はほとんどなかったように思います。気付いた時には当時の3年生が引退し、1,2年生中心となっていました。
8月あるいは9月の初旬、確かまだ暑い時分に練習試合が行われ、私もアドバイザー的な立場で参加しておりました。そこで初めて彼女の賢さに触れたのです。
彼女の曇った表情を見て私から声を掛け、試合を終えた直後のSさんとやり取りが発生しました。
曰く、
先生の言うことに納得できない。
先生が言ったことをやって負けたら怒られる。言われていないことを自分で考えてやって勝っても何も言われない。これはおかしいと思う。
細かい文言は不明瞭ですが、こういった趣旨の発言をされていました。
うーん、全くその通りだね。君の考えは正しいよ。
と返しました。この時、なんて頭脳明晰なんだと舌を巻いた記憶があります。中学一年生でここまで見えて、それを言語化でき、臆せず他者に伝えられる。とんでもなく”頭が良い”人だなと、大変驚きました。
まだ小柄で顔つきも幼かったと思いますが、中身は成熟しているなと。精神年齢は私と同等かそれ以上かもしれない。もしや人生2周目なんじゃないか、などと考えました。
このSさんの発言がきっかけで、先生のおかしな部分が見え始めました。
このブログのスタートが2016年9月15日ですから、このブログも私の部活動への関わり方も選手へのサポートの仕方も、全てはこの発言から始まったのかもしれません。
何かしらの形で私に救われた…なんて感じてくれた人がいたとしたら、それはこのSさんの存在無しにはありえなかったと言えます。
異様なまでの緊張と、敗戦による衝撃
練習や会話の中ではかなりの”スマートさ”を纏うSさんでしたが、次第に「緊張の度合いが極めて深刻」であることが分かってきました。相手のレベルに依らず、試合の特に1試合目には緊張によってプレーが大きく変わってしまうのです。
練習よりプレーの質が落ちることは当然としても、彼女の場合は落差が大きすぎました。
また、負けたことが極めて大きな精神的負担となるようでした。強い相手に負けて泣くのはもちろん、試合が劣勢に傾くとどんどん表情が暗くなっていきプレーの精度も落ちていきます。「このままでは負けてしまう」という思考でいっぱいになり、無意識に自分自身を追い詰めていたのではないかと思います。
そうした精神性の背景を独自に調査するうち、またSさんとの会話を通じて、次のようないくつかの原因が見えてきました。
- 試合に関する知恵の不足
- 先生による最悪のベンチワーク
- 育った家庭環境
引退後の彼女は当時を振り返って、小学生の頃に大会というものに参加することがほとんどなかったことを原因に挙げていました。「だから、打ち方は知っていたけれど点の取り方は知らなかった。練習と違っていろんなところにボールが飛んできた。」と。
うーん、まぁ1年生の最初の頃はそうだったんでしょうけれども、入部から1年経っても緊張への極度の弱さは中々緩和されませんでした。
1年生の頃、とある大会会場にて思いがけずSさんの保護者の方とお会いし、家庭の事情をお聞きする機会がありました。
さらに練習試合や大会を経て少しずつSさんに話を聞くうち、お父さんが極めてSさんの卓球に批判的ということが分かってきました。それが頻繁に繰り返されたことで、彼女の心は常に傷を負ってきたのでしょう。そういう状況下でメンタルを強化していくのは極めて困難です。自己肯定感を得るのが難しく、満足感も低いまま抑えられるからです。
劣勢になると落ちていくのも、何かしらの叱責を受ける未来を想うからでしょう。それは、一般的な愛情を受けて育った者には想像できない恐怖だと思うわけです。
(Part2へつづく)