人生二周目 Part3 ~3年生編~

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ついに3年生へ。

アタクシの自分語りも混入しております。

  

春~県総体

春以降遠征や大会への参加が多く練習時間が減ったため、仕方なく練習試合の中で、カット型にはこういう方針でいこう、試合前の乱打はこういう風にしよう…などと伝えていきました。それがどれくらい効いたかは分かりませんが…

 

個人戦については市でも地区でも本人はがっかりして終えたようですが県総体への切符は手に入れており、最後の最後には地力が正しく発揮されて本人の納得のいく最後を迎えられたようです。

 

 

ジュニア1次予選

県総体直後に中学生のみでのジュニア1次予選が予定されており、7月頃にはジュニア予選まで参加すると言っていたSさんですが、申し込み直前になって家庭の事情により参加できなくなってしまいました。

 

ところがジュニア予選の会場に行ってみると、カット型の3年生部員の姿が。聞くと、Sさんと一緒に後輩の試合を観に来たのだとか。

「Sもこれから来るはずなんです~」

「えー、会場に来ていいなら大会出てもいいじゃんね(汗)」

「いや、ほんとそうですよね」なんて。

 

2年生は全員参加、1年生からは少し打てるAさん1人だけが参加していました。試合前のAさんを見ていますと、顔が強張って土人形のようになってしまっています。

これはSさんと同じ感じかな…と思いつつ、Aさんの試合をSさんと一緒に観ることに。

 

私:緊張の仕方があなたとそっくりよ。

S:えー、私あんなに緊張してましたか?

私:(うーん、してましたけどねぇ…)試合前にガッチガチになってたり、うまくやろうとしすぎちゃったりするところとか、さ。

S:あ~…でも私、Aには期待してるんです。結構打てるし、同じ裏裏だっていうのも嬉しいし…

 

ベンチ入りが許されるのが4回戦からであり時間があったため、Aさんの試合後Sさんとお話しすることにしました。ますは先生への要望を列挙した私の卓球ノートを見てもらって、それからなんやかんやと話題が移りまして。

ふと間が空いて、「おや?何か言う雰囲気だぞ…?」などと思っていると、「今まで言ってなかったんで、知ってるか分からないですけど…」とプライベートな事情を話してくれました。

これまでに何となく察するところありましたけれど、こちらから尋ねるようなことでもないと思っていたのと、いつか自分から語ってくれるんじゃないかという予感があって触れずに来ました。予感が当たりましたねぇ↑

 

おそらく1時間くらいしゃべった頃、後輩がSさんに話があるとやってきました。明らかに直接二人で話したい様子でしたがSさんが立ち上がる素振りを見せないもので、「直接話したそうだし、行った方がいいんじゃない?」なんて言って、解散。

 

 

カミングアウト

ジュニア予選後も何度かお会いする機会がありまして、私自身の話とベンチワークの話になりました。

 

実は私、”勉強好き”が高じて一般よりも長く学生生活を送りまして。お勉強の最終結果だけ見れば「敗戦!」と言った感じなんですね。

このことを打ち明けた中学生は彼女が初めてで、まぁ他の人には隠すわけではないけれど別に言わなくてもいいだろなぁ…と。

私にとってはまぁさすがに、人に進んで言いたいようなことでもないもので。でもSさんなら、特に動揺もせずスッと受け止めてくれるだろうという予感があったわけです。それは今までやり取りを繰り返す中で私の中に醸成された信頼感なんでしょうね。

 

彼女に明かそうと思ったのは、Sさんが自身の弱みと言いますか、本来であれば隠しておきたいであろうプライベートなことを私に晒してくれたので、私もそういうのを見せてしまって対等な位置に近付きたいなと、そういう思いからですね。

 

案の定Sさんは静かに、それまでより真剣な表情で聞いてくれました。私の”覚悟”を感じたのかもしれません。

彼女は今までの状況から、何となく察していたようでした。まぁSさんなら気付いていてもおかしくないかな。なんせ二周目ですんでね^^

 

 

お勉強のゴールだけ見れば失敗なんだと私は考えているのですけれど、仮にストレートで行っていた場合今お世話になっているコーチに出会うことはありませんでした。足踏みした分学生として長く卓球が出来たし、コーチの元で練習して希望の光が見えてきて、私の卓球は非常に豊かになってきているんですね。

 

そして何より、私の人生は彼女に出会うことなく進んでいたわけです。

(私がこう言うと、Sさんは「そうなってたら私、ヤバかったですね…^^;」と。そう思ってもらえるなんて、救われますね。)

足踏みした結果Sさんのような立派な人間に出会えて、そんな人の県総体個人戦をベンチから観られるなんて。最上級の特等席じゃないですか。しかも素晴らしい試合を間近で観ることが出来て、総合的に見ればもう十分お釣りが出たなと。

 

なんてことを話しました。

その後に私のベンチワークの話になりまして。

 

 

「いるだけで安心した」

 Sさん曰く、

(私)さんがいるだけで安心できるんです。

他の人と違って、「好きにやっておいで」って言ってくれてるような感じがするから。

 と。

 

うーん、これはまーた、私の方が救われてしまいましたね。なんて言うんでしょう、”人間の部分”を丸ごと認めてもらえた、みたいなそんな感じで。どっちが年上なんだかわかりゃしません。

 

なんにしても、「選手にとってマイナスにならない」というベンチワークの最低合格ラインはクリアできていたようで安心しました。Sさんに限っては、私も役に立てたのかな。

 

私がベンチに入りますと、相手や状況によってはエース級の試合であっても方針が見えることもあります。しかしながら、「これはどうしたらいいかわからん…お手上げ!」なんて状況もしばしば発生します。私がカット型であるので、(高島さんとか英田さんのような人だったら違うのでしょうけれども)言ってしまえば前陣速攻のことはまるで分かっていないわけです。選手の方が分かっています。

 

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それに、立場が逆だったかもしれない、と思うのです。

つまり、たまたま私が先に生まれただけだし、Sさんが私の家に、私がSさんの家に生まれていれば今まさに立場は逆で、私がSさんに助けてもらっていたはずです。

 

だから偉そうに見えることが私はすごく嫌いで。ベンチに入る時も椅子に座るのは気が乗らないので、「ボールの深さが見えない」という後付けの理由で立って見ていることが多いです。(まぁそれも嘘ではないし、足りない頭を補うために何とかしようと足掻いた結果、立って見た方が良く見えるからそうしているんですけれど)

 

まだ個人戦だったらいいけれど、団体戦なんか選手が床に座って試合に出ない人間が椅子にどっかり座るってのは気持ち悪いんですよね。

大人だから座るの?それ根拠としておかしくないか?って。

 

選手に対してさん付けも欠かさないし、選手の考えを聞こうとこちらから尋ねるようにしているつもりだし。

所詮たまたま先に生まれただけだ、という思想が根強いですね。

 

そういういろいろを考えていくと、最終的には”人間”で勝負するしかないのかなと。私の方が彼らより長く生きている分、”人間の幅”で彼らの役に立てるよう努めるくらいしかないと。空気を作って言葉を選んで、なんとか心を下支えできるよう。

そこをクリアした上で、戦術・戦略が乗っかっていけば素敵なベンチワークになるでしょうね。

 

Sさん曰く、最初のうちは私がベンチで立って見ているのが不思議だったそうです。同級生たちで「なんで立ってるんだろう?」と話したこともあったとか。でも試合を重ねるうち、あぁ座らない人なんだ、と慣れていったそうで。

ちょっとこの話には笑っちゃいました。

確かにどこも先生が偉そうに(Sさんより、「座ってても偉そうにしてない人もいますよ~」との指摘が。まぁ確かに。)椅子に座っているし、子供たちもそういうものだと洗脳されちゃってますんで、かえって違和感がありますわね。

 

 

この辺のお話に絡んで、「I love watching you play」の記事を読んでもらいました。前々から、彼女にはこの考え方を紹介したいと思っていました。

 

「本当はお家の人とか先生たちに必要な内容なんだけどね」なんて言いながら。

 

 

これを読んで彼女は、中学二年用の国語の教科書に掲載された卒業ホームラン(重松清)を思い出したそうです。テニスの監督と父親である下りが似ていると。

読んだ当時はいい話だなくらいに思っていたそうですが、今になって、また↑の記事を読んだ後で思い返すと、こういう話が教科書に載っているというのはよく考えられているんだなと思うと。

 

 

 

(おわり)