卓球≦勉強 であれ

今回は、中学生・高校生の卓球と勉強の両立について、個人的な考えを書いていこうと思います。

中学や高校に通う学生の方、あるいは小・中学生のお子さんをお持ちの方に向けた内容になっています。

高校・大学受験の出願がとうに終わったこの時期ではアレかもしれませんが…

 

 

卓球より勉強の方が得意であれ

卓球を捨てて勉強しなさいということではなく、卓球と勉強の両方を頑張れる環境があるなら学力を高める努力をより多くすべきと言うことです。

 

卓球で大学まで進学できるのは一握りの選手です。さらにその先、卓球で就職するとなるとその数はさらに絞られます。小・中学生の時点で、人生を卓球に賭けてリターンが得られると判断出来るならば卓球に全振りすべきでしょう。しかし、大多数の人はそうではありません。

また、スポーツにより人間性が育つというのも疑わしいです。もちろん全員ではないけれど、スポーツで筑波大学へ進学してきた学生たちの多くは学力で入学した学生たちに比べれば振る舞いは幼いし、特別気が利くとか親切ということでもありません。

私が見てきた限りでは、スポーツ推薦の学生の中でも卓球部に在籍する人たちは特殊で、物静かでインテリに見える選手がチラホラいました。ただまぁ…他のいくつかの部はひどいもんでした。

 

私は、勉強こそが人格を豊かにすると思います。勉強をする過程で脳の処理能力は上がり、自分の中にない思想や事象に触れ、大量の知識を獲得していきます。当然、勉強の外でもその威力は発揮されます。一方で、卓球で得た知識や思考力は、その世界の中で閉じています。

スポーツだけで生きてきた人の中にも品があって賢い人たちはいるけれど、それはきっと親元を離れるまでのご家庭の教育の賜物と思います。お子さんの雰囲気や言動を見れば、大体親御さんの様子は推測できます。

 

卓球で大学まで進学するような選手の多くは、中学時代から親元を離れての寮生活と思います。そうなると昼も夜も会話するのは同級生、子供です。語彙は発達せず、感性も豊かにならない。知識量も中学で止まったまま大学生になります。

それらはきっと、卓球で全国上位に達するための犠牲なのだと思います。それは仕方がないことだし、彼らが悪いわけでは決してありません。圧倒的な卓球の実力に感心し、尊敬するばかりです。ただし、スポーツ選手が須らく立派な人間性を兼ね備えている、というのは幻想です。

 

卓球で県大会以上に出場できる選手はそのほとんどが、小学生スタートかどこかの卓球場でレッスンを受けているかです。つまりその家庭には経済的な余裕がある程度あるはずです。となれば勉強を頑張れる環境を用意できないはずがない。

学力は、人生の保険になります。勉強ほど、出来てお得なものはないですよ。

 

 

出来る限り進学校を目指せ

このお話は、中学生に一番伝えたいことであります。

受験生の中には、偏差値ではなく卓球部の強さで進学先を選ぶ方もいるでしょう。これが出願先を決める段階で、卓球の実力>>学力の偏差値である場合はやむなしと思います。しかしながら卓球の実力≦学力であるなら、行ける範囲で最も偏差値の高い学校に行くべきです。欲を言えば、県内最上位の進学校を目指すべきです。

 

偏差値70前後の進学校になれば、その学年上位陣はモンスター級の学力を有しています。東大に平然と入っていくようなレベルです。そこそこ勉強のできる人間であれば、そういう並外れた学力を持つ人間を目の当たりにすべきです。

これはもう、感心を通り越して感動しますよ。私は公立の中高一貫校で学年120人中10~15位をずっと彷徨っていましたが、上位10人にはまるで届きませんでした。でも、彼らがいたからより努力が出来ました。学年1位で東大理三は確実と言われる男が私よりも多く勉強する様を、間近で見るわけです。あいつであれだけやってるんだから、私の努力もまだまだだと思えるわけですね。

それに、進学校には勉強が出来ることを称える空気、ともに勉強し学力を高めていける流れがあります。その流れに乗らない手はありません。勉強も卓球も”できる”選手なら、絶対に勉強で進学していくべきです。

県内トップの高校で学力を高めれば、大学は選び放題です。その時になれば全国から行き先を選べるわけですから、自分に見合った偏差値で卓球部のレベルを踏まえて進路を決めることができます。

私の同期にもおりましたよ。近畿地方から全中に出場したけれど勉強で県内トップの進学校に進み、筑波大へ進んで3年で早期卒業したハイスペック人間が。彼曰く、「中学時代が人生で一番強い。高校ではその貯金を使いながら卓球して、大学では貯金がちょっと戻ったかなみたいな感じ」と。

 

 

卓球で強いのはすごいが、勉強ができるのはえらい

これもまぁ、私が勉強サイドで生きてきたからそう思うのでしょうけれども…

卓球で強いのはすごいことです。それは絶対にこうすれば勝てるという方法が、スポーツでは曖昧だから。その人の骨格や筋力、卓球を始めた環境や指導者の教える内容によって、結果が出るかどうかに大きなばらつきが生じます。だから、すごい。

しかしながら卓球は、そのもの自体に楽しさがあります。特に初期段階では打つだけで楽しいから、卓球そのものを好きになれて、努力へと繋げていくことが出来ます。

 

一方で、勉強は状況が違います。初期段階が、一番苦しい。

例えば英語なんて、アルファベットが書けても単語が全く読めない。それは英語が表意文字ー文字列を見れば意味が分かるーを採用しているからです。単語を見れば意味は分かるけれど、発音は見た目とは一致していません。だから同じaでも、”apple” "take" "tea" "air" "caught" で全て音が違います。でも、諦めずに勉強を続けていけば法則が見えてきて、初見の単語も読めるようになります。

他の教科も同様で、最初の苦しい期間を耐えて続けていくと、闇を抜けて辺りが見渡せるようになります。けれども多くの人は、その期間に耐えられず止めてしまいます。努力する過程に達することなく、分からない=楽しくない→やらない、となってしまいます。

 

だからこそ、初期の辛さをくぐり抜けてきたいわゆる勉強が出来る人たちの方が、私はえらいと思うんです。よく頑張った!と。

私が残念に思うのは、勉強は嫌だからやらないけど卓球は頑張るという人たちですね。卓球を頑張れるなら、勉強もやれよ!?と思ってしまいます。まぁ人によっていろいろ、育ってきた環境や事情で勉強の辛い時期に耐えられないというのもあるのでしょうけれどもね。

卓球だけで生きていって、その先で他の誰かの役に立てるならそれはとっても素敵なことだなと思います。私がお世話になってる人の中にもそういう方がいるのでアレですが、非常に幸運なケースですね。

 

 

 

(おわり)