卓球が何の役に立つか 1

人生における選択の幅をより広げてくれるのは、勉強>卓球です。

勉強の方が努力に対する成果が出やすく、進路・就職先を選ぶための武器として適用できる範囲が広いためです。

さらには教養が身に付き思考の幅やスピードは向上し、人間としてのレベルアップに繋がります。(そもそも義務教育は、「この程度の内容を理解しておかなければ、動物と一緒ですよ。人間になってくださいね。」という趣旨のものと考えていますが…)

 

しかしながら、何らかの事情で勉強を頑張ることができない子どもたちがいます。その理由の多くは家庭環境に起因するもので、勉強に限らず何に対しても無気力である傾向があります。

そんな彼らに対して、スポーツが良い影響を及ぼす可能性があります。

 

今回は、そんなお話。

 

 

 

 

やる気が芽生えて

中学2年生のAさん。彼女に出会った昨年の今頃は、お世辞にも態度が良いとは言えず話もあまり聞いてくれない状態でした。数回に渡り歩み寄る努力をしましたが、さすがの私もムッとして「じゃあ好きにしてくれ」と心が離れかけました。

それでも段々と私に慣れ、いくらか勝ちたいという気持ちもあるようで、普通に会話が出来るようになり練習の指示やアドバイスも聞いてくれるようになりました。

 

そうは言っても精神的に波があり、やる気があるんだかないんだか私には判断が付かない状況が続いていました。

2年生全体を秘密練習に誘う中でAさんは「行きたい」と言いつつ中々練習に来なかったので、やっぱり口だけでそこまでのやる気ではないのかな…と考えておりました。

 

 

夏休みに入った辺りに、Aさんについての話を顧問の先生としたところ、卓球が彼女に良い影響を与えていることが分かってきました。

先生曰く、私が部活に通うようになってからAさんは物事に対してやる気を見せるようになったそうです。(私の影響かどうかは分かりませんが^^;)まず卓球を頑張ろうという姿勢が見え始めて、人の話も聞けるようになったと。人間的にだいぶ変わり始めたとのことでした。

なるほど確かに、出会った頃の態度のよろしくないあの感じと今とでは別人です。他の子に聞いたところでは、テストの点数もいくらか上がったとか。

 

先生からは、Aさんの家庭環境があまり良いとは言えず、秘密練習に行きたくても行けない状況なのだという話も出ました。

 

限られた情報だけで彼女のやる気を疑ったことを反省すると同時に、彼女をもっと大切にしなければいけないという使命感を持ちました。

親が構ってくれないなら私が彼女を信じて、そっと背中を押して、成長を見守りましょうと。

 

 

放任的家庭環境の影響

後日Aさんとお喋りして見えてきた家庭環境はかなり放任寄りで、Aさんの帰りが22時を過ぎても何も言われないとか、ご飯を作ってもらうことが少ないとか。

お母さんの腕には根性焼の後が多数あり、Aさんがピアス穴を開けたいと言うと「開けちゃえ!」と言ってしまうような、そういう環境です。(えぇ…)

お父さんはいらっしゃるそうですが、トラックの運転手をしているため週に何日かは家に帰れないとのこと。

 

あまり構ってもらえない環境で育ったために、何事に対しても無気力気味というか、何か一つに打ち込む・頑張るということの価値を知らないまま育ったように見受けられます。

これは、想像に難くないですね。今年度の東大入学式祝辞でも話題になりましたが、我々が頑張ろうと思えるのはこれまでの周囲の環境が我々を励ましてくれたからこそ、ですね。

 

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

 

 

以下、全文です。ご存じない方にはぜひお読みいただきたいと思います。

 

 

 

勉強ができないからと言ってその人の価値が落ちるわけではありません。問題は、勉強を頑張れない人の多くは何事にも打ち込むことができないという点です。

勉強はできないからやらない、かといってスポーツに打ち込むわけでもない、家庭で習い事をさせるような環境ではないから何かこれと言って熱中するものもない…

そうなると行きつく先は、”暗がり”です。飲酒・喫煙に始まり、ピアスを開けたりタトゥーを入れたり、喧嘩・迷惑行為・暴走行為をしてみたり。そういう人たちとつるむ様になったら戻ってくるのはさらに難しくなります。

平成初期の話ですか?といったところですが、環境が環境ならほうっておけばフラフラと道を逸れていきます。せめて人様に迷惑をかけないような良識を持った人間になるよう、引き留めなければいけません。

 

 

卓球が人生を変える

Aさんの場合は、卓球に出会ったことによってこの先の人生がいくらか変わっていくかもしれません。

 

先週の月曜日の秘密練習についにAさんが参加しました。

秘密練習では大抵最初の20~30分をサービスに充てており、その日も30分ほどサービス練習をしてもらいました。

その日は参加者が8人いたため、どうしても各々の集中力に任せる時間が長くなってしまいます。Aさんには第一にサービスの低さ、次に速さに重点を置いて練習するよう伝え、ロングサービスだけを出してもらっていました。他の子たちの元を回りつつ、Aさんはもうとっくに飽きているかな…と思って見に行くと、集中力を保ったままひたすら同じことを練習しているんですね。

ロングサービスの次に、同じ感じからフォアミドル前に落とすナックルを練習してもらいましたが、同様に投げ出すことなく練習できていました。

他の子が苦戦するフォアミドル前へのサービスの感じも良かったので、「あなたは人よりサービスが上手いよ。それに、これだけ単調な練習を飽きずに頑張れたのもすごい。これからは、自分をサービスの天才なんだと思って練習しなさいね。」なんて伝えまして。

ニコッとするというよりは、話を真剣に聞いているような顔をしておりましたので、Aさんが褒められてどう思ったのかは分かりません。しかしながら、その練習以降明らかに目つきが変わってきました。

 

カデット予選の会場では「同じ戦型で戦術も真似できる良い選手がいるから一緒に観よう」と言えば素直についてくるし、「ああいうサービスを出してああいう風に攻めよう、そうすれば単純になって強い相手とも戦えるようになるから」などと戦術的な話をしても真剣な顔で我慢強く聴くことができます。

サービスの天才だなんて言われて、頑張ってみればそこそこやれるのかもしれない…という期待感を得られたのかもしれません。いや、さすがに自分を高く評価しすぎかしら…。

 

キッカケは何だとしても、この忍耐力や集中力は大きな価値があります。以前のAさんだったら、戦術のようなちょっと小難しい話は「そういうの興味ないです~w」なんて聞き流していそうなものです。

 

 

 

先週の月・水と続けて秘密練習に現れ、昨日秘密練習のグループラインに招待したところ割と早めに応答がありました。この先Aさんが継続して練習参加できるなら、これはおもしろくなりそうです。

実際サービスは人より上手いので、足を動かして正確に打ち込んでいく練習をひたすら繰り返していけば、勝ち上がることができるはずです。

 

 

夢中になれるものを見つけて、頑張ることを覚えて、頑張ったことを認めて評価されて。それらを経験すれば、きっと勉強も頑張れるようになるし、社会に出ても評価されるでしょう。道を踏み外す可能性もぐっと抑えることができます。

 

 

私は時々、自分が今何をやっていてどこを目指しているのか分からなくなります。そんな時辿り着くのは、Aさんのような人に巡り合うために私は生まれてきたんじゃないかな、ということでして。

卓球がいくらかできたところで何の役に立つのかと思うこともあるんですが、Aさんのような人の役に立てたなら、それでもういいのではないかなと最近では思うんですね。

また、私の方が救われてしまう予感がしますね。

 

 

 

 (おわり)