卓球が何の役に立つか 2

1では実例を挙げました。

今回はその他の観点から、考えていることなどを。

 

 

 

 

頑張れる人にとっては?

前回の1では、卓球が”頑張れない人”にとって頑張るキッカケとなりうるというお話を致しました。では、ハナから勉強を頑張ることができる子供たちにとって卓球はどう役立つでしょうか。

私は、より学力を高めるための原動力となりうると考えています。東大レベルを目指すのでもない限りは、何かしらの部活に所属しておくべきです。

部活で時間を取られれば、限られた時間で集中して勉強しようとします。帰宅部となると放課後の時間は膨大で、勉強時間が間延びして効率が落ちます。1日のサイクルにメリハリは付かず、勉強を始める時間もどんどん遅くなって次第に勉強量は落ちていきます。

帰宅部でもそうはならない強い意志の持ち主はいますが、それは育ってきた環境が良かったのでしょう。

 

また、生活の柱を部活と勉強の二本立てにすることで、どちらかが上手くいっていなくても持ち直しやすいとも考えています。どちらか一本だけでは、それが折れた時にそのストレスを逃がす先がありません。

柱を二本にしておくと、一方の調子が上がるともう一方にも良い影響を及ぼします。例えば勉強での成績が上がればより良い気分で卓球に取り組むことができます。試合で競った時には、「あたしは勉強だってできんのよ。卓球しかないアンタに負けるわけないじゃん?」なんて、根拠のない自信を持ちだすことだってできます。

 

 

何事も頑張れない人にとっては、頑張ることを覚えるきっかけになります。

勉強はダメでもスポーツは頑張れるという人にとっては、自分に自信を持つきっかけになり、将来誰かの役に立てる可能性を生むことができます。

勉強を頑張れる人にとっては、精神を安定させより学力を上げるための一助となり、勉強以外に長所を持つことができます。

 

卓球を頑張ることに何の意味があるのか。

卓球を通じて子供たちに関わる大人には一考の上、指導をしていただきたいものです。

 

 

 

「勉強なんて役に立たない」と言う者たち

県大会を何回か勝ち上がるある中学生が、「社会(科)なんて何の役に立つの」と言っていました。彼女は成績が悪いという程ではないはずですが、地理か歴史かが苦手なようで、愚痴として出た言葉のようです。

その時私が思ったのは、「卓球こそ、何の役に立つんですか?」ということでして。果たして彼女はこの問いに答えられるのでしょうか。

 

私はかつて筑波大学体育会卓球部に所属しておりました。

ここには所謂スポーツ推薦で入学してきた選手も在籍するため、片や卓球で全国レベル、片や勉強で全国レベルという摩訶不思議な環境でした。

その頃のお話についてはこの先詳しく書くこともあろうかと思いますが、その中で私が得た結論は、卓球より勉強の方が役に立つ、ということです。

卓球漬けで生きてきた彼らは、卓球競技の枠の中であれば驚くほど”頭が良く”、優秀です。技術・戦術はもちろん、私が想像したこともないような感覚や知識を有しています。しかしながら卓球で得た経験や知恵というのものは、その外に持ち出したときに応用が利かないようなんですね。つまり、「卓球の中で閉じた」経験や知恵が多いということなのです。

 

ですから、勉強はからっきしだけれど卓球だけは頑張っている人たちはちょっと心配です。卓球で大学まで行ければ人生は切り拓けるでしょうが、高校までであれば考えものです。

凡人こそ勉強をすべきとはよく言ったもので、卓球で人生を切り拓けるような選ばれた人間以外は保険として学力を獲得しておくべきです。

それに、卓球だけできたところで辞めてしまえばただの人です。誰の役に立つわけでもなければ、他人から見て卓球ができてもできなくても同じことになってしまいます。

 

 

なんだか非常に辛辣な内容になってしまいました。それに、勉強が何の役に立つのかという問いにはここでは答えておりません。それはまた別の機会に。

何も頑張れないよりは卓球だけでも頑張れた方が良いので、頑張れることは評価すべきですが…

 

最初から卓球に打ち込めるだけの能力があるなら、勉強もそれ以上に頑張っておいた方がいいよ、ということでございます。親や指導者にも、そういう視点を持っていただきたいなぁと。卓球はさせるのに勉強はやらせないで、その子の将来のことは考えているんでしょうかね。女の子だからいいだろう、みたいな思考がどこかにあるのかなぁ…

頑張れる側の人間は卓球より勉強が得意であってくれよ、と思いますが…。

 

 

(おわり)