卓球と初心者指導(仮)

中学校の卓球部における指導について、主に考えていきます。

負けて泣くことの弊害

負けて泣くことについての記事を、これまでに二度改訂してきました。

今回は三度目の改訂になります。負けて泣くことの弊害について、ver.2と変わっています。

 

 

負けて泣く中学生たち

私は選手たちを尊敬しているつもりです。中学スタートであるなしに関わらず一人一人違った長所が確かにあり、取り入れたいと思うものを持っているからです。一方で、彼らが負けて泣くことについては否定的な考えを持っています。まずは、彼らが泣く場面に遭遇した時に私が思うことをざっくりと。

 

悔しさや悲しさがあるのは分かりますが、誰にでも勝てるわけではないし、たとえ技術レベルに差があっても負けることはあります。そういうことは彼らも経験してきているはず。

 

緊張でいつもの力が出せず負けた、悲しい。でも、それは技術の練度がまだ足りなかったからです。緊張しても入るくらいの安定感が無いからです。ビビった状態から上げていく練習も足りていません。今の二年生の試合を観るようになって一年以上が経ちましたが、技術的な進歩には目覚ましいものがあります。しかしながら精神的な仕込みが足りず、技術の進歩に追いついていません。だから「勝てたはずなのに…」と本人が思ってしまう状況が続くのです。

 

彼らの努力は立派と思います。でも、相手がどれくらい努力しているかは分かりません。努力量で相手が上回っているなら、負けて泣くのは身勝手だと思います。

 

勝ち負けに一喜一憂しすぎと思います。勝ち負けを必要以上に意識させる要因が、どこかにあるのかもしれません。

 

 

負けて泣くことの弊害

ここまでは私の愚痴のようなものでした。ここからはもう少し理論的な内容にしたいと思います。試合で負けて泣くことにより、次のような問題が生じることを懸念しています。

 

①感情的に全てリセットし、試合内容まで洗い流してしまう

②泣くことと負けに繋がりができてしまう

 

①感情的に全てリセットし、試合内容まで洗い流してしまう

負けたことや上手くできなかったことが悔しくて涙が出る、というのであれば必要と思います。そういう涙であれば、自分で試合内容を反省し次の練習への取り組みが変わるはずです。

しかしながら、選手たちを見ていると泣く動機が違う所にあるように思えてなりません。上手くいかなかったフラストレーションを、泣くことによってなんとなくすっきりさせているように見えるのです。と同時に、試合内容の改善すべき点までさっぱりと忘れてしまうように思います。そうやって伸びしろを見逃した結果、また試合で同じようにうまくいかなくて泣くことになります。これではせっかく試合をしたのに、得るものが少ないです。

格上・同格相手に通用した技術や展開、これが出来ていれば勝負になったかもしれないなという部分を記憶しておかなければなりません。泣いている暇があるなら、それを整理して簡潔にメモしておくべきです。

 

 

②泣くことと負けに繋がりができてしまう

負けて泣くことを繰り返していると「負け」と「泣くこと」が脳内で繋がって、内容が良くても「負け」という結果だけを捉えて泣くようになる危険性があると思います。そうなってくると劣勢になっただけで泣いた記憶が無意識に想起され、メンタルが弱っていくようになります。まるでパブロフの犬のように。

これでは劣勢から盛り返すことなどできるはずがありません。負けても簡単に泣かないよう努めることが、結果として試合中のメンタルを強くすることに寄与すると考えています。

 

 

選手たちにどうして欲しいか

心の安定を取るために時には泣くことも必要ですので、「泣いてはいけない」とは言いません。しかしながら、簡単に泣いてほしくないと思っています。

泣かなければどうにかなってしまうような場合を除いて、泣く時間を前向きな時間に置き換えてほしいです。つまり、試合を反省し良かった点と改善できる点を探す時間に充ててほしいと考えています。

負けて泣く癖やチームとしての慣習を、少しずつ無くしてほしいです。簡単に泣かないチームになれば、劣勢になっても精神的にグラつきにくくなるはずです。よく「精神的に強くならないといけない」などと言いますが、試合に負けても泣かないことが回り回って精神的な強さを育むことに繋がるはずです。

先輩が泣いていたからとか、その場の雰囲気とか、自分の気持ち以外の要素で泣いてはいないでしょうか。本当にその涙は悔しさによるものでしょうか。そういうところを一人一人、自分に問いかけてみてほしいと思います。

 

 

(おわり)