信じるために疑え

とかく、「信じることは大切」などと言われますが。

 

まず疑って、それが信じるに値するものなのかを自分の頭で考えてから信じるべきです。

 

そうでなければ、何の意味もないことをただ模倣するだけになります。

練習試合でやたら声を出せだの、団体戦で膝をついて応援しろだの。

 

他の学校がやっているから、先輩たちがやっているから、伝統だから、慣習だから。

実にくだらない。

これらを行動の根拠にするような人を、”頭が悪い”と言います。

 

何かを行う根拠としてこれらはあまりに短絡的で危険です。

他の人がやっているからというのは理由になりません。なぜその人たちがそうしているのかを考えた上で、自分たちの状況に適するかを判断しなければいけません。でなければ、間違った行動や無意味な行動をただ繰り返すことになります。

 

こんなことは、顧問を務める教員が生徒たちに伝えて然るべきです。だって彼らは”教育のプロ”なんでしょう?そんなこともできずに他者の行動を表面的に真似するよう強いるとは、驚きますね。

 

中学生たちには、まず疑ってかかることを身に付けてもらいたい。当然私の言うことも含めて。そうしなければ宗教になってしまいます。

一旦疑って、質問したり自分で試したりして、自分で考えて。その先で、信じたり受け入れたりする判断が出来るようになります。

信じる、従う、マネする、には根拠が必要です。根拠や理由を問われたときに説明できない人間や不機嫌になるような人は信用に値しません。

 

私はそういう人間にはならないようにしたい。

 

 

(おわり)