新3年生から、私の元へ直接連絡がありました。
私のいなくなった部活で、顧問から自分たちの心を守っていくためにどうすればよいか。どういう体制を作っておけばよいか。新1年生の指導はどのように進めていけばよいか。出来れば文字でまとめて送ってくれないか。
という旨の打診でした。
あの顧問の下では、心を壊されないようにすることが最優先です。ですからまずは、彼らの心を自衛してもらうための体制について考えます。
◎出来るだけ大勢で、同じ認識を持っておくようにする。
例えば「朝練は非効率、廃止した方が良い」と思ったなら、それを数人のお喋りに留めるのではなく、学年全体や部員全体でそれぞれの考えを確認して共有する。
もちろん、朝練を希望する人がいるなら共有する内容ややり方は変わる。自由参加制であることを全員の前で先生に確認するとか、「やりたい人が○人以上集まった時に先生に申請する」といったルールにすべきだというアイデアを共有すればよい。
大勢で同じ認識を持っておけば、顧問のやり方が間違っていた時に大勢で声を上げることが出来る。生徒に対して顧問は”権力者”だ。権力に抵抗するには数。団結することだ。1人ではダメでも、全員で問いただせば彼はきっとたじろぐ。そこで「朝練は強制だから来い」と嘘をつくことはできなくなる。
朝練の例で言えば、「誰も朝練を必要としておらず、負担になっているだけ。」という認識を仮に全員が共有できた場合、まずは顧問へ朝練廃止を訴える。選手からでダメなら保護者から再度言ってもらうのも良いが、最も効果があるのは”行動で示すこと”だろう。つまり、言ってもダメなのだから、部員全体で朝練へ行かないようにしてしまえばよい。一見過激だが、だれかに迷惑を掛けたり傷付けたりするような行動ではないのだから後ろめたく思う必要はない。
他人を変えるより、自分たちの行動を変える方が簡単だ。自分たちが変われば状況は必ず変わる。何だかんだ言うことを聞いてしまうから顧問がつけあがるのだ。年上だとか先生だとか、そんなものは関係ない。あなたたちの内の大半がよく考えた上で「これは間違っている」と判断したなら、それは間違っているのだ。
◎顧問を批判する意思を持つ代わりに、自分の行動を正しておく。
顧問がおかしいのは本人以外の誰もが理解していることだが、批判ばかりで自分たちの行動がだらしなくては顧問と同じレベルの人間になってしまう。
常に全てをきっちりする必要はない。ここはちゃんとしなくちゃいけない、という部分について自分たちでよく考え、言われずとも最低限ちゃんとしておくことだ。
「人の振り見て我が振り直せ」と昔から言われてきた。顧問を批判しつつも、自分たちの行動も振り返ってお互い指摘しあうなど、自分たちで正していかないといけない。
怒られないように顧問の顔を窺え、ということではない。顧問にグチャグチャ言わせないように先回りしてしまえ、ということだ。
◎いつでも悩みを相談・共有できるような、”縦のつながり”を作っておく。
つまり、学年を超えて相談が出来る関係を作っておくこと。1年生や2年生では解決できないことも、3年生が関わることで解決するかもしれない。
”横のつながり”、つまり同級生との関係は意識せずとも強固になっていく。いじめでも発生していない限り、同級生の中には誰かしら相談できる人がいるだろう。一緒に行動することも多いから傷ついている子がいれば気付きやすいし、いつでも気軽に相談しやすい。だからこそ、横のつながりよりも縦のつながりを意識的に作っておかねばならない。
私は昨年の春から夏にかけて話しやすい先輩が誰かというのを今の2年生たちに聞いて回り、「困ったらこの先輩に相談だ!」という状態を作ろうした。戦型の同異を問わないことを不思議に思った人もいたようだが、その主な目的は困った時に先輩に助けを求められる体制作りだったのである。
この時私が担った役割を、3年生に担っていただきたい。つまり、新1年生が入部して1,2か月経った頃、6月中くらいを目安に1年生への聞き取りを終え、それぞれに相談役の2年生を決めてあげた状態にしてから引退を迎えて欲しい。そこまでやっておけば3年生が去っても、部員同士で守りあえる状態が維持されるだろう。
これは顧問が今後どんな人間になろうが、マイナスに働くことはない。縦のつながりは部内の人間関係をより豊かにするし、それは卓球そのものの上達にもプラスに働く。そういうところで先輩が後輩にとって価値ある存在になれたなら、応援も自然と心の入ったものになるはずだ。興味を持って先輩の試合を観るし、私たちもああいう風になりたいと思ってくれるかもしれない。
(こういうのは顧問の得意技で、)今のあなたたちにはこのようなことはないかもしれないが、全然後輩の面倒を見ないくせに応援はしろ審判はしろ、では筋が通らない。縦のつながりをシステムとして後輩に受け継いでいくことで、この先起こりうるそういう理不尽を未然に防ぐことが出来る。
そもそも、本来年上の方が年下の人間に対して気を遣うべきなのだ。
◎新しい副顧問を味方につけておくこと。
1,2か月様子を見れば、その人が信頼できるかどうかはあなたたたちなら判断できるはず。副顧問が信頼できる人間であれば、顧問がこういうことをしてあなたたちを傷付けてきた、毎年誰かを不幸にしてきたということを伝えておかねばならない。でなければ”教員”という職業の性質上、簡単に年上である顧問の言いなりになってしまう恐れがある。
顧問の問題行動を伝えておけば、いざという時に副顧問があなたたちを守るために動くかもしれない。生徒全体で声を上げる時に先陣を切ってくれるかもしれない。傷ついたあなたたちの心を、癒そうと努めてくれるかもしれない。私がかつて担おうとした役割を、これからは副顧問に担ってもらうのだ。
大会会場では私も顧問への監視の目を光らせていくが、大抵大きな問題は”まともな大人”の目が届きづらい状況で起こる。出来るだけ近い位置に、あなたたちを守れる大人を確保しておかなければいけない。
◎学校外に、相談できる大人を見つけておくこと。
あなたたちの話をきちんと聞いて、受け止めて、寄り添って、いざとなったら助けとなってくれる人が必要だ。家庭内にそういう人がいればそれが一番簡単。家庭ではそういう問題を相談できない場合には、友達のお母さんでも、塾の先生でもいい。
大人であれば最悪の場合、学校に乗り込んでいくことが出来る。とにかく信頼できる大人を見つけておくのだ。
卓球部以外の学校の先生でも良いが、先生同士で強い指摘や非難はしづらい現実がある。相談相手にはなれても状況を変えるほどの動きは出来ないかもしれない。
このような体制が、役に立つことが無ければその方がいい。それは大きな問題が発生しなかったということだから。しかしながら備えというものは、最悪を想定して行わなければいけない。いざとなった時に機能しないようでは意味がないからだ。
最悪にもいくつかの段階がある。例えば、部活に行きたくなくなる、ミスしたり負けたりすることが怖くなる、部活を辞める、卓球をしたくなくなる/嫌いになる、部活内での問題によって精神を病む、命を絶つ。
あの顧問の元では、その人の家庭環境によっては自殺が引き起こされてもおかしくはない。最悪の最悪はそれ。
上述した”最悪”たちは、順番が後に行くほど状況が悪い。だから、後のものほど避けなければならない。後のものが避けられるなら、それより前にあるものを避けられなくても良い。
例えば、部活によって命を絶つくらいなら、部活を辞めてしまった方が絶対に良い。顧問は「部活を辞めるのは逃げだ」などと言ってくるかもしれないが、逃げずに立ち向かって心を壊したり命を絶つようなことになっては元も子もないのだ。
「辞めたい」と相談されるとつい引き留めたくなるが、安易に引き留めるとかえって追い込むことになる場合がある。本人の精神状態が不安定であれば一旦落ち着いて考える時間を確保した方が良いが、辞めさせない方向にもっていくことありきで相談に乗っても解決しないことがある。まずは本人の意思を受け止めて尊重すること。「あなたが良く考えてそう決めたなら、そうするのがいいのかもしれない。」と。一方で、「本当につらいなら辞めた方がいいが、他にもこういう選択肢があるよ」ということも伝えなければいけない。なぜなら視野が狭くなった状態で判断している可能性があるからだ。
同じ例でもっと言えば、部活を辞めて学校の外で楽しく卓球を続ける、という選択肢は存在している。どうも皆さんの多くが「卓球を続けるには部活に参加せざるを得ない」と思い込んでいるようだが、決してそんなことはない。
部活に籍だけはおいて卓球スクールのような場所で練習し、大会にだけ中学校から出る、というやり方もある。顧問がごねてもそこは「顧問が原因なのだから」と保護者に押し通してもらうのだ。教頭や校長に直接打診しても良い。
あるいは大会に出られなくても構わないということであれば、部活はやめてしまって学校外で練習だけしたっていい。皮肉なことに、その方がよほど強くなれる。(これは学校での練習相手が悪いということではなく、メニューの組み方が悪いからだ。もちろん練習相手が強いに越したことはないが、今の部活であっても練習内容をきちんと考えて適切にアドバイスできる人間がいればちゃんと強くなれる。)
スクールに通うようなお金は出してもらえないとか、スクールは敷居が高い、ということであれば私を活用すれば良い。場所代だけは出してもらうけれど、一回2~300円ならお小遣いでもなんとかなるはず。私のスタンスは来るもの拒まず去る者追わず。これまでそうしてきたように、卓球が好きとか上手くなりたいとか勝ちたいという人はきちんとサポートする。顧問のやり方では全くダメなので、私のやり方で卓球の良さを伝えていく。
(おわり)