ある姉弟のお話。
私が練習相手を務める選手たちの中に、ある女の子がいます。技術レベルが極めて高く、練習をやりこんできたことがよく分かります。しかしながら、彼女はもう卓球への興味を失ってしまっています。
レッスンの休憩時間になればすぐにスマホ。コーチのアドバイスに対して質問をすることはなく、練習メニューの意味や狙いを咀嚼する様子もありません。私から見れば、言われたことをやっているだけです。
さらには、練習相手の私がボールを拾っている間、彼女は立っているだけ。練習終わりに部屋の隅にボールが落ちていても拾おうとしない。コーチが声を掛けてもなかなか休憩から戻らない。
彼女にも事情があるのでしょうけれど、正直に言って私はもう練習相手をしたくないです。卓球がどうこうの前に、人間として応援したいと思えない。
やはり私は、強いだけの選手は尊敬できないし、好きになれない。
例え人間性がいくらか崩壊していても、卓球の事は好きであってほしいです。
自分で言うのもアレですが、私はなかなか人のことを嫌いになることってないんですね。尊敬できる良いところが一つあれば、たとえ欠点の方が多くてもその人の事は好きになれるんです。
しかしながらああいう様子を見ますと、さすがの私にも怒りが湧いてきました。
「あなたより勝ちたいと思っている人に、ブロック大会や全国大会への切符を譲ってあげては?」と。
一方で、彼女ばかりを責めることはできないとも考えています。というのも、彼女がそうなった一因は、お父さんの指導にあるからです。
彼女はおそらくお父さんの影響で卓球を初め、お父さんに厳しく叱られながら練習してきたのだと思われます。それはレッスンでのお父さんの言葉や目付き、あるいは隣で練習している弟さんの様子を見ていれば分かります。
弟さんの方はミスするたびにお父さんの方を見やって、顔色を窺うのです。これはまさしく、頻繁に叱られながら育ってきた人の特徴です。お姉さんにも同様の傾向はみられます。
あぁ、叱られ強制されるとこうなってしまうんだな、と悲しい気持ちになりました。
まぁ、世の中のほとんどの親御さんが教育や児童の発達について勉強していないので、教育に関してはまるっきり素人なわけですよね。ですから致し方ないとも言えるのですが、教育的な観点からみればこの家庭における教育は完全に失敗だと思います。
この失敗の影響は、卓球だけに留まらないだろうと思います。親子の関係もやや歪になり、しかもそれに当事者たちは気が付きません。
物事を自分で考えて、自分の責任で判断することを避けるようになるでしょう。
ミスすると怒られるので、本当に致命的なミスを隠すようになるかもしれません。そうなれば発覚した時には事態は更に悪化しています。
本当に哀れだなぁ…といたたまれない気持ちになります。お姉さんの方はもう手の施しようがないところまで来ているでしょう。それに前回練習相手をした時点で、私の心が離れていってしまいました。
一方で、弟さんの方はいくらか私を信頼してくれるようです。話を聞いてくれるし、練習相手をして下さいと自分から言ってきます。
彼も今年中学一年生になり、少しずつ大人になっていきます。この辺りで段々と、父親の影響下から抜け出していかなければいけません。それを思うと、お姉さんの練習態度に不満を抱えつつも彼らの練習に同席する他なさそうです。
これだけ言っておいて、自分が親になった時叱ってばかりになったらまぁ~私もクズの仲間入りですわね。そうはならないと思いますけれども…
少なくとも、自分の子が卓球を選ぶとしたら私は一切口を出さないことに決めています。自分の子は信頼できる人に預けて、私はよそ様のお子さんを育てていく。これが一番健全でしょうね。
(おわり)