個人競技であるからこその特性なのか、あるいはスポーツ全般に当てはまるのか。
諦めた人は救えない
私はかつて教員を目指し教育実習に参加したのですが、そこで数学に対して全くやる気を失った生徒の姿を目の当たりにしました。
彼らの多くは数学が苦手で、進学もしないので必要もないという背景がありました。私はかつて自分がある教員に救われたように、数学が苦手な人の力になりたいと思って教員を志していましたが、苦手となってしばらく経つと向上心を失い苦手を得意に持っていくことが困難になることに気付きました。
私が救いたいと思っていた”数学を苦手とする人”は、”苦手だけれど頑張りたい人”であり、極めて少数だったのです。
上手でなくても向上心を持てる
中学校の部活動は勉強と同様に、やらなければいけないからやっている人が多いのが実態です。
また、昨年も今年も、私のレッスンを受けてくれるのは部内ランキングで下位であるとか、同じ練習量で習熟度に遅れが出始めているような選手が多いです。
これらのことは、決して上手でなくても上手くなりたいという気持ちを維持することが卓球では出来るということを示しています。
これが卓球だからなのか、スポーツだからなのか、あるいは勉強と違って中学スタートであれば皆ほぼ同列から始まるからなのかは分かりません。
でもきっと、それが卓球の良さの一つであることは確かだと思います。
まさに今日これからレッスンする中にも、学年ランキングではビリだけれど毎週欠かさずに練習しにくる選手がいます。苦手でも向上心があるから、理解しようとする、伝わる、実行しようとする、変化が出てくる、進化する。
運動学習のスピードに長けた人に比べれば、彼女の成長はゆっくりでしょう。でも、一か月前、二か月前の彼女と比べれば確実に進化しています。
惜しむらくは、蛹が羽化する前に中学三年の夏が終わってしまうことです。
いやいや、決めつけなさるなと思う一方で、週1で一通りの技術を試合で使えるようにできるほど卓球は簡単じゃあないぞと囁く声も聞こえます。
あと1年もらえれば…
などというのも外から見た私の勝手な思いであって、本人が成長を感じて納得し高い満足感を得られたなら良しとすべきですね。ただまぁ…満足感を得られたかどうか、その程度はどうか、本当のところは本人しか分からないので確かめようがないのが何とも言えないです。
というわけで、今日もレッスンへ参ります。
(おわり)