終わりではなくスタートに

以前の中学校の生徒で秘密練習にも積極的に参加してくれた選手が、卓球部を辞めました。

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秘密練習の参加者に聞いて、夏休み前に足を怪我したことは知っていました。怪我が治ればまた来るだろうね、なんて話を彼らとしていたのですが、9月になっても音沙汰もなく。

先日の新人戦にもいなかったので、会場でチームメイトに尋ねたところ「あの子は辞めました…」とのこと。

 

本人に連絡を取ったところ、辞めるに至った経緯を教えてくれました。その内容は先生にしか言っていないそうなので、他の子はなぜ彼女が辞めたのかを知らないのでしょう。

 

 

物静かで思慮深い彼女のことですから勢いで辞めたわけではないだろうと思っていましたが、やはりいろいろと思うところがあったようです。ご自分で考えて決断し先生に伝えることができた勇気は立派です。

 

勉強に専念しつつ、彼女がこの先の人生で打ち込めるものを何か1つ2つ見つけられることを願うばかりです。そういうものが、きっと人間を豊かにしてくれますから。

 

これは伝えませんでしたが、彼女がいつか家庭を持ってお子さんと一緒に卓球をする、あるいは子供が自立して家を出て時間ができた時に卓球をまたやってみる。そんな瞬間が訪れたらそれはとっても嬉しいなぁと。

でも、難しいでしょうね…

 

 

やり取りの最後は、

本当に私のことを気にかけてくださって、感謝の気持ちでいっぱいです。

だからこそ、辞めた理由をしっかり言うことができました。

 と締めくくられていました。

 

私の方こそ、彼女と一緒に卓球ができて良かったです。

秘密練習は私が彼らを助けているように見えて、その実私のほうが救われています。人は誰かに必要とされないと生きていけませんのでね。

だからこそ、この先の人生で何か困ったことがあれば頼ってほしい。それは中学を出て高校を出て、社会人になったその先でも、連絡をくれれば私のできることは何でもしましょうぞと。それが私からの、私を信頼してくれた人たちへの恩返しです。

 

 

彼女が卓球界から去るのは悲しいけれど、その方が彼女にとっては良いのだから引き留めるような言葉はいらないと思うんですね。

 

彼女の犠牲の上にあの学校の市内優勝があるのだ、と言うことを選手たちが知らないのはなんだか悔しいですが、少数の痛みをその他大勢に背負わせるのは違うという個人的な思想もありますので…

 

 

彼女が秘密練習で見せた卓球への姿勢や練習中の表情は、競技として卓球を続ける私から見て、美しかった。1つ上の代にもいたけれど、中学スタートでありながら競技としてプレーする者の目をしていた。

フォア強打の多球練習をした時に「卓球って、こんなに疲れるんですね」と息を切らして、けれどなんだか清々しい顔をして夜風に当たっていた彼女が愛おしい。

 

誰も知らない、立派な選手が確かにいた。

そのことを私が覚えていれば、それでいい。

 

 

 

(おわり)